9月28日(金)〜29日(土) 伊吹山と関ケ原古戦場ハイキング
コース 近江長岡ー伊吹山登山口ー登山リフト乗り場ーリフト三合目〜伊吹山山頂〜山頂駐     車場ー関ヶ原駅〜松平忠信井伊直政陣跡〜関ケ原町歴史資料館〜(ザ・ウォーキン     グマップコース3・行軍コース)〜関ヶ原駅

 大山に行くとき、実は夜行1泊で伊吹山にも一緒に登る予定だった。所が、かねてから日本の歴史にたびたび登場する、伊吹山の近くにある天下分け目の関ケ原の古戦場にもついでに寄りたかったが、どうコースを選んでも難しい。しかたがないので、別々に行くことにした。
 パソコンで検索したが、関ケ原の古戦場の地図を印刷できるアドレスが見つからなかったので、出発する10日前に関ケ原町役場に電話をいれて、コースの地図を郵送で送ってもらった。届いたのが、大山から帰って2日たった、18日だった。中には伊吹山の観光案内もあり、見ると花が山頂付近は多いようだ。しかも9月の末までは山頂から関ヶ原駅に行くバスも数が多い。前回、家内には大山と一緒に行きたいといっておいたので、残りの費用を(しかも別々に行く方が泊まらずに済むので安い!)もらい、急きょ28〜29日にかけて行くことにする。後は天気次第。水曜日までは名古屋地方は曇りだったが、木曜日になって、晴時々曇り降水確率も30%に下がったので、夜行電車のムーンライトながら号の切符を朝、大森駅で買う。
  28日は職場の残暑払いを早々と切り上げ、7時30分に自宅に帰る。入浴して、夕食を食べ、妻に明後日の日曜日の件で小言を言われたので、おもしろくなくなり、1時間も早く家を出て、横浜駅に向かう。
 早く着いた横浜駅で東海道線のホームで電車を眺めていると、湘南電車はみんな込んでいて、とても座れる状態じゃない。大変だなと思う。恵比寿駅で人身事故があって、山手線が遅れているので、東海道線も長距離電車は遅れて東京駅を出ているようだ。ムーンライトながらも予定より7分程遅れて到着した。電車はリクライニングがあるし、ゆったりとして寝やすい。いつのまにかうとうととした。途中から座ってきた、隣の人は富士川駅で気がついたらいなかった。こんな夜中どこで降りるのだろうか。
  豊橋駅で列車編成が変更になり、指定席はなくなり、全部自由席になる。岡崎駅で5時頃乗ってきた若い人が近くで喋っていてうるさかった。名古屋で9号編成が6号編成になるので、8号車だった私は、前の方に進む。空を見ると、雲が空を覆っている。天気予報の晴は一時的だったようだ。電車に乗っていると今まで気がつかなかった街並みが見えてくる。例えば、熱田駅のそばにはバラックのような古い建物が密集している。岐阜駅は北口は駅前広場も大きく、近代的な駅だが、南口は歓楽街の建物が所狭しと、立ち並んでいる。丁度岐阜駅で厚化粧をした顔の目鼻立ちがはっきりとした、ピンクの少し派手な上着を着た人が降りて、おかしいなと思って、出発する列車から見ていたら、スカートは短い縞模様の水色なので、もしかしてゲイ?
終点大垣駅で降り、加古川行きの電車に乗りかえる。やがて関ヶ原駅を過ぎると、右側に大きい山が見えてきた。どうやら伊吹山のようだ。近江長岡駅には7:24に到着し、駅前はなにもないさびしい、静かな駅だ。伊吹山登山口行きのバスにはすでに2人ほど乗っている。用を済ませ、常備薬を飲んで乗りこむ。30分に発車し、登山口には50分につく。途中から見た伊吹山は向かって左側の山の麓が崩れている。どうも自然に崩れた様子ではないように見えた。もし、そうだとすると、深田先生はきっと草葉の陰で泣いている!

麓が崩れている
登山口から1170m登ってもいいが、今日は関ケ原に行って古戦場を5時間ほど歩く予定がある。予定通りロープウエイ駅まで歩き、三合目まで800円払って乗る。8:00に営業開始なので、待っていて2〜3分でシャッターが開いて、朝一番のロープウエイに乗りこむ。あっという間に標高を増し、10分で500mの標高を稼ぐ。さすがに3合目は涼しく、ヒンヤリとする。ススキとコイブキアザミがあちこちに咲いている。


登山道と書いた看板に従い、ゆっくりとした登り道を登る。登っていくと、鹿の鳴声がしきりに聞こえる。山頂までドライブウエイはあるが、まだまだ自然が豊かだと感じる山だ。5合目は小屋はあるが、閉鎖されており、使えるかどうかわからない、飲み物の自動販売機だけがぽつんとある。
五合目の休憩所から琵琶湖を望む
この付近から山頂まで高山植物が多く咲いていて、退屈しない。

         上  トリカブト                            上    リュウノウギク
      下 ツリガネニンジン 下 赤クガイソウ黄アキノキリンソウ白 リュウノウギク

六合目手前に草刈をしている人がいて、涼しいねと声をかけられる。避難小屋は割栗石をコンクリートで固めて造った新しい小屋で、中に入ると木の香りがする。

六合目あたりからやや急な道になる。七合目で休憩する。ぽつぽつと雨が降ってくるが大した量にはならなかったが、濡れた岩が滑りやすくなり(蛇紋岩か?)軽い登山靴はすべて、歩きにくい。九合目はもう山頂の稜線がすぐそばだ。
山頂には9:40に着く。


眼下には琵琶湖のほぼ全望が見渡せる
同時に撮影したの                                           になぜ色が異るのか?
山頂から北東の方向に山並が見える。遥か遠くに見えるのは白山か?

神社や観音像もあるが、土産物店が演歌をカセットデッキで流しており、厳かな雰囲気をこわしている。測候所もあるがすでに閉鎖されている様だ。建物の痛みも激しい。山頂付近はすでに花は終わっていて、枯れ跡が痛々しい。
山頂駐車場に行くには中央、西、東の三つのコースがあるが、時間もあるので西のコースをたどる。左手に琵琶湖を見ながら砂利道を100mほど下ると20分程で駐車場が見えてくる。バスと車が10台ほど止まっていて静かだ。気温計があるらしく15℃だといっていた。凉しいので中に入り、お腹が空いてきたのでヨモギそばを食べる。水が見あたらないので聞いたら売っているので買ってくださいとのこと。11:05のバスで関ケ原に向かうが乗っているのは私1人だけだ。心地よい眠気にさそわれうとうとしてしまう。
終点の関ヶ原駅に11:45に着き、いよいよ観光地図を便りに古戦場めぐりだ。まず、東首塚と松平・井伊陣跡を見る。首塚のそばには首洗い井戸がある。何とも不気味だ。

首洗い井戸
次に線路に架る橋を渡って、家康床几場(最終陣跡)に行く。
最初は桃配山で采配を振っていたが、戦線有利にならずと見るや、ここまで進み、松尾山の小早川秀秋に早く寝返りをうつ用、砲を放させた場所だ。最後は敵方の首実検を行ったとされている。

堤の周りには彼岸花が今を盛りと咲いていた。

次にすぐそばの歴史資料館に入る。

ガラスケースの中の地図に、当時の戦場での陣形や時間を追った実況の案内があり、ランプの点灯等があったり、見やすかった。カラフルな屏風絵や当時の服飾や、各武将の旗、生立ちや性格の説明の展示もあった。次は決戦地(関ケ原の戦いの中で最も激しい戦いが行われた場所)に行く。

石田光成の陣跡のすぐそばで、ここで敗れた光成は伊吹山中へ逃げ込む。笹尾山の光成の陣跡には当時陣の防禦に使った木柵が並んでいる。


次に島津、小西の陣跡を見て、開戦地に行く。

東軍の福島正則が宇喜田秀家に攻撃をしかけた場所と言うことだが、現実は、ほ場整備でかなり北に移動しているらしい。次に10分ほど歩いて天満山の麓の宇喜田秀家陣跡に行く。うっそうとした林の中で、神社の境内にあるが、生憎曇りでもあり、良く文字が見えない。次に藤古川ダムのそばを通って、大谷吉継の墓に行く。

情けのある武将で光成の戦いに反対したが、最後は死を賭して戦いに挑んだという。また、目を患い、戦さのあった晩年は盲目に近い状態だった。最後は新幹線線路やJR、名阪高速をくぐって、松尾山の小早川秀秋陣跡へ行く。名阪高速をくぐってから約40分かかって、標高298mの山頂に着く。山頂からは関ケ原町内はもちろん、伊吹山も見える。
松尾山から左手奥に伊吹山を望む
ここから下って、途中福島正則陣跡と西首塚を見て関ケ原駅に向かう。途中そばの花畑が見事だった。

自動販売機で買ったミルクコーヒーが乾いたのどには甘くておしいかった。駅には4:40に着く。名古屋経由新横浜までの切符を買い、新横浜に19:30に着く件を、家に連絡する。東海道新幹線に乗るのは久しぶりなので、すごく贅沢な感じだ。おまけに、名古屋から新横浜までノンストップだ。新横浜で降りたら、雨が降っていて前日と異なり涼しくなっていて、驚く。

費用  横浜ー近江長岡  7500円 近江長岡ー登山口350円 リフト800円 そば700円    土産550円 伊吹山ー関ケ原1000円 関ケ原ー新横浜10350円 その他730円
 計   21980円 (ただし、大蔵省からは17000円のみ支給、不足分は自力更正) 

追伸   百名山84山登破。2週続けて行かさせてもらい、家内には感謝!! 

感想・書込みはこちらから