2月11日(木・祝) 山中城址~箱根町(旧街道)
コース 自宅6:50ー8:45小田原駅8:50ー9:37三島駅9:45ー10:11三島大吊橋(スカイウオーク)12:20ー12:45山中城址14:00~16:35箱根町16:43ー17:08箱根湯本駅17:15ー17:30小田原駅17:39ー18:54向ヶ丘遊園駅19:06ー19:20自宅

 今回は入院後のリハビリを兼ねて、T君と旧街道を歩く。

 実は1月25日(月)の深夜、私の体に大変なことが起きたのだ。前日24日に飯能の多峯主(とうのす)山(271m)に行ったとき、300mもないのに足がやけに重く、息が苦しかった。家に戻って、たまたま娘の婚家に不幸が起きたので、茅ヶ崎まで車で往復した。
 次の日、いつもの通り仕事をして帰り道、昨日のことが頭にあったので、医者(近くの内科)に行った。昨日の症状を述べ、レントゲンを撮ったところ、心臓が肥大しているといわれる。おまけに今夜は絶対安静とのこと。明日は帝京大学病院に行くよう、紹介状と心臓のレントゲンのCDを受け取る。帰りしな、心臓肥大?絶対安静?何が起きたのか理解できないまま家に戻る。念のため、子供たちには医者に言われたことを電話で伝える。
 食事を作り、風呂に入り(本当はまずかったらしい)夕食を食べ、9:30に寝床につく。風呂もなぜか寒いし、暖房していた室内も寒かった。布団に入ったが、手が冷たく、おまけに下半身も寒く、息がやや苦しく、寝付ける状態ではなかった。時間を見るとすでに10:30になっており、これ以上遅くなると子供達にも迷惑をかけると思い、思い切って電話する。
 電話に長男が出るとすぐ救急車を呼ぼうかと言ってくれたので、そうしてくれと返事する。救急車とすぐ長男が来て、医者からの紹介状を渡し、救急隊員に医者に言われたことや症状を話し、医者からもらったものを渡す。帝京大学病院は循環器の当直医でないので断られるが、多摩病院はオーケーとのことでさっそく向かう。
 救急隊員と病院が連絡を取っているとき、ICUという言葉が耳に入る。えっ!ICU!ほんと!病院に入り、レントゲンやらCTを撮る。医者(塚原Dr)から説明があり、心不全の状態になっていること、肺に水が溜まっていること、入院はICUを含め2週間といわれる。頭の中がほんと、真っ白になる。心不全!肺に水!2週間の入院!
 集中治療室に入り、点滴やら、酸素チューブやら、心臓検知機器やらつけられる。おまけに小水は膀胱に管を差し込んで、強制的に排尿させられるとのこと。ありゃついに来た。昔、先輩達と酒を飲みながら、笑い話に聞いていたことがついにわが身に降りかかることになった!実に痛かった!握るものがないので、思わず、看護婦さんの左腕を握っていた。結構力が入っていたから看護婦さんも痛かったのじゃないかな。ごめんなさい。
 管類の取り付けが終わって、ようやく長男と当分の必要なものやら、至急連絡してほしい所を話しているうちに、疲れで寝てしまったようだ。
 その後3時4時5時6時と1時間おきに目が覚める。6時になると大部、呼吸も楽になってきた。
 その後多摩病院と帝京大学病院が連絡を取り、結局26日の昼頃、帝京大学病院に転院する。ここでもICUに入り、29日昼に普通病棟に移る。そして、2月5日にようやく退院する。


 当日の2月11日は晴れで前日みたいな強い北風もない。小田原駅で待ち合わせ、熱海駅で乗り換え、三島駅に着く。バス乗り場は改札口を出て、右側の停留所だ。バスは山中行で、すでに止まっていて、乗り込む。男のお年寄りが多い。みんな三島スカイウオークに行くようだ。
 富士山は正面に見え、雲一つない。スカイウオークは柱が大きいから遠くから見えるはずだが、なかなか見えてこない。着く直前になってようやく柱が見えた。
 駐車場は広く、すでに多くの車がある。券売り場は列ができている。入場料1000円を払い、券を買う。柱の高さは44mだそうだ。高い。白くそびえている。早速、柱をバックに撮影する。T君のカメラは一眼レフだが50㎜なので人物を入れると、柱が上まで映らないようだ。富士山も背景に入れたりして、撮影する。


 写真撮影後、橋を渡る。幅は1,6mと狭いので、片側(左側)によらなければならない。途中から揺れだす。中央部分に行くとさらに揺れが大きくなる。船に弱い人は辛そうな程の揺れだ。橋は南北方向に掛かっており、入口は南側だ。北側についてからも写真撮影をするが、箱根旧街道への道を尋ねたら、どうやら南側に戻ってからの方が近いようだ。もう一度橋を渡りなおして、南側部分から旧街道への行き方を係員に聞いてもはっきりしないので、国道一号に出てみる。

 旧街道はあったが、下り(三島)方面しか見えなかった。上り(江戸)方面を探したら、バイパス工事中で通行禁止の看板があり、どうやら通れないようだ。脇道も同じように通れない。

 仕方なく、山中城祉へはバスで行くことにする。バス停を探したら、結局また、スカイウオークの駐車場のバス停に戻ることになった。
バスの時刻表を見ると1時間に1本で次のバスまであと40分ほどある。すでに時間は12時を過ぎている。どうしようもないと思っていたら、ちょうどタクシーが客を下した。これ幸と、タクシーを捕まえ、山中城まで向かうことにする。所が、駐車場の出口が出ようとする車でいっぱいで、なかなか進まない。結局12時30分になってようやくタクシーが国道に出られた。

 国道も途中渋滞があり、結局、12時45分ごろ山中城址に着く。山中城址の中の四阿を見つけ、昼食にする。暖かく、気持ちがいい。油断して日向に出したチョコレートが溶けてしまった。昼食後、散策する。

広く、濠等も結構深い。さらに国道を渡って、北側にも濠や本丸、北の丸などがある。
 今日の予定の箱根町まで行きたいので、あまりゆっくりもしていられないので、14時に城址を出る。城址を出て、国道の反対側に案内標識が見えたので、国道を渡る。

 旧街道の石畳があるが、注意札に「車両通行厳禁」とあるが、堂々と車が通っている。雲助徳利の墓の前の鉄平石の道は、すぐに真新しいコンクリート舗装の道になっている。

が、すぐわきに落ち葉に埋もれた石畳の道を見つける。

 やがて杉木立の下の石畳の道が続いて、農場前バス停でいったん国道に出て渡る。

急坂の後、念仏石、山中一里塚、接待茶屋跡があり、また国道に出る。

  しばらく行くと、又左に背の高い笹に覆われている石畳の道を入る。ここで防寒着のポケットにハンカチがないことに気が付き、少し前に休んで、防寒着を着た場所まで探しに戻る。実は昼食後、ハンカチをセーターのポケットにしまったのをすっかり忘れていたのだ。結果的に30分ほど時間をロスしてしまった。途中から道に少し雪が残っていた。

 15分ほどで、峠茶屋痕があり、作家(名前?)の碑があり、舗装道にでる。

 ものの5分でまた国道と合流し、やがて、箱根峠の信号のある交差点に着く。

正面に昨年2月登った駒ケ岳が見えた。

 交差点を渡るところに横断歩道はなく、まっすぐ進むと、左に自動車専用道路(箱根新道)を分け、さらにまっすぐ進むと、やがて右手に「箱根町入口旧街道」の標識が見える。ここも当然、横断歩道はないから注意して、道路を横切る。

 急坂の階段を下りる。階段を下った付近はまだかなりの雪が残っている。

車道に下のトンネルを抜けると民家が立ち並び、ゴールは近い。
 「箱根関所南」の左に箱根駅伝折り返し地点石碑のある信号を抜けると箱根町バス停はすぐだ。
 今日は暖かかったが、トイレのある建物の中に入るとさらに暖かくほっとする。

 バスがすでに止まっており、乗り込むとすぐ発車した。新道経由なのであまり時間もかからず、箱根湯本駅に着いた。
土産(干物)を買って湯本駅から電車の乗り込む。

 T君とは小田原駅で別れ、小田急線で向ヶ丘遊園経由で家に戻る。