92年7月29日〜8月1日 剣岳 
コース
1日目 新宿駅発夜行電車
2日目 信濃大町ー扇沢ー黒四ダムー室堂〜剣山荘
3日目 剣山荘〜一服の剣〜前剣〜剣岳〜室堂(雷鳥荘)
4日目 室堂ー黒四ダムー扇沢ー信濃大町ー新宿駅ー自宅
標高 室堂2430m 剣山荘2470m  一服の剣2618m 前剣2813m 剣岳2999m  

 最近、新田次郎の本で読んで知ったことだが、近年不登といわれたこの山を登ったのは、1907年(明治40年)7月13日陸軍陸地測量隊の一行である。しかし、頂上で槍の穂と錫杖の頭を発見した。これは唐の時代のものと言われており、いずれにしても、困難な岩山を登ったのは並大抵の努力ではなかったと思われる。私も当時のことを思い返し、もう一度是非登ってみたい山だ。
 7月29日
 23:54新宿駅を急行アルプス54号で出発する。
 7月30日
 5:15信濃大町駅に着く。タクシーを4人で相乗りし、扇沢につく。ここで1時間待たされ、トロリーバスで黒四ダムに着き、ダムを歩く。久しぶりに(4年ぶり)に薬師岳・爺が岳・烏帽子岳・白馬岳・杓子岳・鹿島槍等の北アルプスの山々を眺める。そのあと、地下ケーブル、ロープウェイ、トンネルバスと乗り継いで室堂には9:30につく。人が多い。室堂から歩くが、同行の志村君は花の写真を撮りながら、ゆっくりとくるがしっかりと追いつくところは歩くのが早いからだ。川を越して登りが始まるが、夜行の寝不足の疲れできつい。雪渓が多く、緑と薄灰色の中に真っ白な細長いまだら模様があちらこちらに広がている。

雪渓のせいか涼しくて歩きやすい。12:30には別山乗越に着き、今日の登りは終わる。剣岳が目の前に見え明日へのファイトが体にみなぎる。
昼食を摂り、剣山荘へ向かう。

知らずに上半身を冷たい沢の水で体を拭いてしまうが、聞くと風呂(石鹸やシャンプーは使用禁止)があるという。剣山荘のご主人は案内放送が多すぎて、「風呂は石鹸禁止で、5時まで」とか「剣山はご来光を拝む山ではないとか「朝早い人は静かに」とか「うるさいと登山禁止」とか「明日は天気が悪そうだ」とか、とにかくスピーカーからさまざまな放送内容がもれてくる。夜中起きて無数の星や天の川を眺めるが、体が冷えて下痢をする。流れ星も7〜8数える。夜半から風が強くなる。
7月31日
 快晴。しかし風が強い。部屋の中のグループは朝食前に出発していく。5時に朝食、6時前には出発。一服剣までは楽、前剣が目の前にそびえる。
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前剣の直前がややきびしい。しかし、前剣をすぎてからはカニの横ばいが一部鎖場がややきつい程度で、その鎖場が終わると、山の形からして、頂上付近は緩やかである。
 8時に頂上に着くが、もガスが所々にかかっていて、写真を撮るにも一番いいチャンスがいつなのかはっきりしない。

特に南の方の薬師や槍がほとんど見えない。せいぜい白馬〜鹿島槍、爺が岳までだ。1時間待つが断念、下山する。下山はカニの横ばいが登るよりきつく、鎖に全面的に頼らざるを得ない状況になる。そこを過ぎれば、あとは荷物もないので楽。小屋について、昼食、カップめんの形がいびつになって、底に穴が開いていたので、お湯がこぼれるというハプニングがあった。小屋を出ても霧は少しもはれず、久々の荷物で、肩が痛い。剣御前小屋に着く前に雨に会うが、合羽を着ると雨はやんでしまった。川を越してからの登りが疲れた体にこたえる。髪をびっしょりとぬらして雷鳥荘に着く。シャンプー、石鹸も風呂で使えてさっぱりとし、ビールのあと、夕食前に持参のウォッカを開けてしまった。夜は宴会の手拍子と歌がうるさい。また夜中にだいぶまとまった雨があった。

8月1日
 食欲のない朝食を食べ、霧の室堂に向かう。が、黒部ダムは晴れていて、南の方の薬師岳は見えた。松本発11:30の特急で、我が家到着3時半。

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